2016年11月11日金曜日

昭和2年の植民学校々舎

■今朝入手した…



「池ノ上 今と昔」と題する小冊子*1の6ページに


「世田谷町消防組第一部 火の見櫓落成記念 昭和二年」


と題する写真が掲載されていた。



*1 目次ページ上の前書きによると、世田谷区立池之上小学校の10年ほど前の卒業生のお母様方が編集・発刊した冊子のようである



■この写真…

これまでは、不鮮明なもの
しか手許にないためわからなかったのだが、鮮明な写真で見ると、櫓の後ろに海外植民学校の校舎が写り込んでいた。





 したがって、この写真は、櫓の南西から、北東方向を撮影したものであることがわかるが、


それと共に、写っている学校々舎2階の壁が黒っぽく塗られていることが注目される。


■開校の…

大正7年当時、ページ右上の写真のように、この校舎の2階部分は、白っぽい漆喰らしきもので塗られており、それからわずか9年後の昭和2年には、すでに黒っぽく塗り替えられていたことがわかった。*2

 この学校のことを調べ始めた当初は、当初白かった校舎2階の壁が防空上の観点、つまり空襲の目標にならないために塗り替えられたのではないかと想像していたのだが、徐々に全く別の理由で黒い壁に変わったらしいことがわかってきた。



*2 このほぼ直後に建築された女子部の校舎と寄宿舎が右端に写り込んでいる、学校の全景は、本ブログの
   http://edcutokyo.blogspot.jp/2016/07/39.html
   参照
       なお、この写真は、アングルからみて、この火の見櫓上から撮影したものと思われる。