2017年2月1日水曜日

卒業生「大島芳春」の子孫

■たまたま…

家内の仕事の参考資料にと、1月16日放送の

NHK総合テレビ
プロフェッショナル 仕事の流儀 第313回
「建物を変える、街が変わる」
http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0116/index.html

を留守録していたのだが…

 その翌日、まだ再生もしていないうちに、大熊智之氏からびっくりするようなメールが届いた。
 
■いわく…

この番組の主人公の、大島芳彦氏という建築家は、植民學校の卒業生の大島芳春という人物(以下、物故者は敬称略)のお孫さんではないか、とのこと。

 大熊氏の指摘どおり、当方が昨年発掘した、(公社)全日本不動産協会東京都支部の中野・杉並支部の会報「連帯」56号(2006年11月・刊。以下「連帯」)
http://www.ajrens.com/rentai/56/index.html
に登場する(pp.3-7)大島土地建設株式会社のいわば「3代目」と、名前も業務内容もぴったり一致している。

■この会社は…

植民学校の正課を大正12年に卒業した*1大島芳春が、その後、早稲田の専門学校に進み、在学中から不動産取引業を手掛け始め、越谷での東洋土地を経て、東京・中野に興した会社である*2

 この会社が成功した要因の一つは「庶民でも持てる住宅」を目指し、小規模な宅地や建売住宅を業務の中心に据えたところにあったようで、小規模すぎて防火上の観点から好ましくないとして警視庁からストップがかかったこともあったらしい*3

*1 出身者名簿【大熊文献】
*2 ブログ「資格雑誌『不動産受験新報』のフレッシュ&リラックス情報」
  不動産受験新報2007年10月号 インスペクション 不動産調査 不動産業の歴史 第6回
  http://blog.goo.ne.jp/f-jukensinpo/e/0bef9cea6ad1762ea6d7b7f8111cf150

  なお、冒頭に「北海道江別出身」というのは誤りで(植民學校創立時の講師であり、その母体だった植民教育會の理事でもあった大島喜一が江別出身なので、一時は2人の大島が縁戚なのかとかなりの混乱が生じた)、実際は、天塩の出身(後記「今様桃太郎外伝」による)。おそらく、記事の取材時に「遠別」というのを聞き間違えたと思われる。
*3 「連帯」p.5。なお、戦前の警察は内務省隷下の出先機関として、現在でいえば、警察のほか保健所や建築確認機関の機能も有していた 。

■大島芳春は…

卒業後、まるで別の世界に行ったにもかかわらず*4、植民學校の同窓会(「校友会」という)については大変協力的だったようで、昭和37年発行の校友会〔日〕誌「植民」6号*5を見ても、南米からの校友の帰国時などには、その歓迎会の会場に会社の会議室を提供し、自らも出席している。



校友会〔日〕誌「植民」6号口絵写真中
「伯国・五十幡直義・崎山盛繁両氏歓迎会 3/24 "1962 於大島氏事務所」
前列左から3人目が大島芳春。その右が崎山盛繁
 

*4 本人は、折しも植民學校卒業の年「東京が例の大震災で灰炉と化した大きな焼野原を見て」取り組むべき地は「南米もさることながら現実我が脚下にある」と「翻然として悟」ったとしている(「今様桃太郎外伝」校友会〔日〕誌「植民」3号pp.59-61【大熊文献】)
*5 松原征男氏・蔵

■先の「連帯」の記事中で…

インタビュアーが「芳彦氏はお爺様に似ていらっしゃいますね」と発言しているが*6、確かに芳彦氏の風貌には、大島芳春の面影がある。

植民〔日〕6号掲載の大島土地建設の広告

が、
 何よりも似ているのは、ユニークな視点で新しい領域を切り拓いていくところにある。
 あるいは、これも植民學校が祖父大島芳春に伝えた「開拓者精神」の遺産なのかもしれない。
 
*6 「連帯」p.5