2020年2月26日水曜日

【Web版】「海外植民学校と比佐衛」基礎資料〔随時更新〕

■海外植民学校の校友〔=卒業生+元教員〕名簿

現・汎アマゾニア日伯協会副会長の堤剛太氏
〔参照:https://www.nikkeyshimbun.jp/2019/190723-61colonia.html 以下〕
からご提供いただいた
海外植民学校 校友会(伯) 50周年記念誌
に掲載されている、
昭和14年6月編纂の「海外植民学校・校友名簿」
https://drive.google.com/file/d/1JL5EJhqDhlVdxKUxExcd2Gu0MwD7_FgS/view?usp=sharing

■高知県立歴史民俗資料館所蔵データ

崎山比佐衛の戸籍上の弟、血縁上は義理の甥にあたる崎山信義氏の
長女崎山ひろみさんと妹の江口洋子さんが、東京、高知さらにブラジルまで行って収集し、
高知県立歴史民俗資料館に寄贈した海外植民學校関係資料のリスト(pdf版)
https://drive.google.com/file/d/1T8BwKvqhuiLdIA30H_zRAR6gt0zEE9T6/view?usp=sharing

同上(Excel版)
https://drive.google.com/file/d/1TZ0HYbxa6fhh1_oVsZiyLsYHtJLQa_nK/view?usp=sharing

■「伯國アマゾナス州マウエス郡在住日本人氏名」

アマゾニア産業株式会社〔アマ産〕の創始者/社長の上塚司
〔参照:https://edcutokyo.blogspot.com/2016/12/blog-post_30.html
のお孫さん、上塚芳郎先生@女子医大からご提供いただいた、同社の
昭和15年4月8日付け「マウエス植民地合併報告書」
(上記アマ産が後記アマ興を、いわば救済合併した際のもの)
から抜粋した、当時の
「伯國アマゾナス州マウエス郡在住日本人氏名」リスト
https://drive.google.com/file/d/1OdPKh0WySelWiQpAEse017UK4ZhwGSVr/view?usp=sharing

大半が、
●アマゾン興業〔アマ興。参照:前同〕の植民地入植者(第1次~第3次)
 +その創始者の大石小作夫妻
●崎山比佐衛とその関係者
 +海外植民學校出身者
ですが、3名ほど「身元不明」の人もいます。

詳細な分析はこれから。


【Web版】研究誌「海外植民学校と比佐衛」を開始します

■当ブログの…

【緊急告知】今後の、研究誌「海外植民学校と比佐衛」について
https://edcutokyo.blogspot.com/2019/08/blog-post.html

に記したような事情から、第6号まで続いた研究誌「海外植民学校と比佐衛」を冊子の形で継続することは不可能になりました。

■しかし…

故・松原征男氏のご依頼で、同誌の編集をお手伝いさせていただいていた、当方のPC中には、7号以降に掲載を予定していた他では得難い基礎的なデータがあり、また、当方が執筆中だったり、執筆予定だっ原稿のためのいろいろな資料が集積されています。

■おそらく…

研究誌なきあと、このブログが、少なくとも大正半ばに、東京府荏原郡世田谷村大字下北澤に産声をあげた私立海外植民学校についての、おそらく世界唯一の情報発信源となってしまったうえ、ログをみると、今でも、ブラジルからのアクセスがあって、ニッケイの方々が「ご先祖様」のルーツを探っておられるようにも思われ、このブログを、このまま閉鎖することはないにしても、休止してしまうことには躊躇を感じます。

■そのため…

これから、可能な範囲ではですが、順次、データを追記してゆくことにいたしました。

以後

・新規の情報については、タイトルの冒頭に
 【Web版】と表示します。
   この系統の記事については、随時追記を加える予定ですので、一度アクセスされた
   アーティクルであっても、是非、もう一度アクセスすることをお奨めします
・既発行の研究誌に掲載記事については、タイトルの冒頭に
 【第X号】と表示します。
   ただし、なかには著作権法上問題のある情報もあるようですので、それらについては
   塗りつぶし、可能な限り参照可能な情報源を付記する予定です


2020年2月5日水曜日

吉村繁義「崎山比佐衛傳」のオリジナル本の背表紙見返し

■これまで…

海外植民学校を研究しながら、基本文献中の基本文献といってよい、標記の本については、日本の古本屋などの古書サイトにも出現しなかったオリジナル本が、令和2年1月に、ネットオークションに出品され、「無風」で落札することができた。

■ここまでの…

崎山傳との経緯は

「崎山比佐衛伝」のコピー本〔【追記】とオリジナル本〕
https://edcutokyo.blogspot.com/2016/10/blog-post.html

の追記で触れておいた。


■本の中身については…

すでに、上記のリンク先にある
・pdf版(文字列検索ができるのが有難い)
があり、それに加えて、後に入手できた
・コピー版(出典のページ番号を特定するには不可欠)
があるので、いわばモノを書くには不自由もないのだが、それでも欲しかった、いわば「お宝画像」は、裏表紙に見返しにある学校の遠景写真



■この写真は…

pdf版でも末尾に転載されているし、コピー版にもあるのだが、どちらも鮮明さに欠けているのが悩みだったので、今回ようやくかなり鮮明な画像を手に入れることができた。

 実は、これと同じアングルの全景写真は、学校創立初期のものが何パターンかあるが、この写真は、最も写り込んでいる建築物の数が多い、大正8年頃と思われる開校初期で、しかも学校としてのピークの状態を示す貴重なものと言える。

■それらのうち…

最も初期のものと思われるのは…

遠景写真1

大熊智之氏が、ネットオークションで落札したもの。

先の写真の③の寄宿舎は、まったく見えない。

■次が

遠景写真2

かつてWeb上にあったこれ。

先の写真の③の寄宿舎は、躯体(骨組)の白っぽい木材が露出していて、まだ建築途上であることがわかる。




かつて、同様にネットオークションに出品されていたこの写真(残念ながら気付いたのはオークションの終了後だった)と同一のものと思われる。


■そして…

遠景写真3

崎山傳掲載写真。

③の寄宿舎はすでに完成していることがわかる。

■これらの写真は…

絵葉書にして、年賀状などとして、支援者などに、学校の状況報告を兼ねて発送していたらしい。

たとえば、大熊氏蔵の上記「遠景写真1」の裏面は、この


ように「絵葉書仕立」になっている。

さらに、表の写真は別のものだが、当方手持ちのものは、この


崎山は、大正5年末、旭川で学校の設立資金
を募集するための講演会を開催しているが
送り先は、その折の、寄附者と思われる。
この宛先地の表示だけで届いているのだから、
坂東幸太郎「旭川商工人名録」旭川実業協会/T07・刊
NdlId:958691/41
によれば、市内に2店舗を有する「金物銅鉄商」
の花輪富太郎は、当地でかなりの有力者だったのだろう。
 



























ように、裏面に活版で文章を印刷して年賀状としているものもある。

【追記】

■上記「遠景写真3」の…

符号➁が、海外植民学校創立時に建築された、校舎である。

この校舎、戦後も残っていたことは、以下の写真で確認できる。

世田谷区立池之上小学校五十周年記念誌委員会・編「創立五十周年 記念誌」
同校々長/H03・刊
p.43掲載の「プール落成式 (30年7月)」と題する写真
この校舎、この時点では、新築当初なかった「控壁」が追加されていたりして、もともとが「安普請」らしかったこともあって、かなり老朽化が進んでいたことがわかる。

しかし、この校舎、昭和40年代には取り壊されていたことはわかっていたものの、もう少し時期を絞り込みたかったのである。

■最近入手した…

東京都建設局「S31-34 測 3000分の1地形図 『駒場』」」をみると、この校舎の周辺地域は、S32測量だが、この時点で、この校舎は消滅している。

「東電中央社員養成所」が、元植民学校の敷地

■実は…

ここまでこだわったのは、写真でいえば、校舎の向かい画面の右向こうにあった駄菓子屋さん兼模型屋さん「金の鳥」〔里俗「キンチョー」〕に、学校帰りにさんざん出入りしていたのに、この校舎については、全く記憶がなかったためである。

上記のように、この校舎は、昭和30年7月から昭和32年3月までの間に取り壊されていたのに対し、こちらが、当地に品川区大井町から地図に「北沢小」と表記されているが、前掲の「池之上小学校」に転校してきたのは昭和36年3月なのだから、記憶にないのは当たり前。

これで、やや安心した。