吉村繁義「崎山比佐衛傳 アマゾン日本移民の父」海外植民学校校友会出版部/S30・刊
< http://www.brasiliminbunko.com.br/Obras/157.pdf >
の Bpp.65-66/wp.109に
「ここ〔註:上澁谷の牧場*〕に来たころ〔註:明治39=1906年〕、空地の多かった上渋谷地方も七年後〔註:1913=大正2年〕にはすっかり住宅街となった。会長は土地の有志に推されて、渋谷町町会議員に当選し町政に参加して、専ら教育衛生の施設改善に力をつくした。また、町政に干渉して不正を企たむボスたちに対し、革新勢力の代弁者となり、公民の義務を果し、町民の信頼を博した。」
とある。
*東京市渋谷町上渋谷 24 番地 にあった学生労働会の牧場
右下隅が、電化前の山の手線の線路 青山学院大学資料センター・蔵 〔提供:松原征男氏〕 |
■先日…
別件で、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に行った折、田原学芸員さんのお力を借りて資料を調べてみた。
その結果、
加藤一郎・著「郷土渋谷の百年百話」渋谷郷土研究会/S42・刊中
「第八八話 歴代の村長・町長・収入役と町会議員に選ばれた人々」
のpp.517-518
(町会議員)「大正二(一九一三)年五月三十一日、町村制改正になり全員改選、任期四年に改まる。改選後の議員」
のリスト中に、崎山比佐衛の名前があった。*
別件で、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に行った折、田原学芸員さんのお力を借りて資料を調べてみた。
その結果、
加藤一郎・著「郷土渋谷の百年百話」渋谷郷土研究会/S42・刊中
「第八八話 歴代の村長・町長・収入役と町会議員に選ばれた人々」
のpp.517-518
(町会議員)「大正二(一九一三)年五月三十一日、町村制改正になり全員改選、任期四年に改まる。改選後の議員」
のリスト中に、崎山比佐衛の名前があった。*
* 当初目当てにしていたのは
渋谷区議会事務局・編「渋谷区議会史」同議会/1976・刊
だったのだが、残念ながら、この本は「渋谷区=議会=史」ではなく「渋谷=区議会=史」だった。
■とはいえ…
崎山は、翌大正3年の2月21日には「南北両米踏破三万哩」の旅に出発し、帰国したのは大正5年7月である一方、議員としての任期は同6年5月までなので、ほとんど議員活動はしていないと言わざるを得ないし、それも、途中で辞職していなければの話であって、大正5年5月の補欠選挙で5名が選ばれていることからみると、出発時には辞職している可能性も高い。
また、pp.518-519にある次期の大正6年選挙の当選者のリストには比佐衛の名前はないし、この時期、海外植民学校の設立に向けて多忙な時期でもあり、そもそも出馬していない可能性が高い。
■結局…
比佐衛の澁谷町會議員としての活動期間は、長くても18か月、短かければ8か月程度に止まることになる。
渋谷区議会事務局・編「渋谷区議会史」同議会/1976・刊
だったのだが、残念ながら、この本は「渋谷区=議会=史」ではなく「渋谷=区議会=史」だった。
■とはいえ…
崎山は、翌大正3年の2月21日には「南北両米踏破三万哩」の旅に出発し、帰国したのは大正5年7月である一方、議員としての任期は同6年5月までなので、ほとんど議員活動はしていないと言わざるを得ないし、それも、途中で辞職していなければの話であって、大正5年5月の補欠選挙で5名が選ばれていることからみると、出発時には辞職している可能性も高い。
また、pp.518-519にある次期の大正6年選挙の当選者のリストには比佐衛の名前はないし、この時期、海外植民学校の設立に向けて多忙な時期でもあり、そもそも出馬していない可能性が高い。
■結局…
比佐衛の澁谷町會議員としての活動期間は、長くても18か月、短かければ8か月程度に止まることになる。