ネットオークションに、
「『植民』第8巻5(昭和4年5月)号」植民通信社・刊という雑誌が出品されていた。
■目次の…
の画像がなく、一種のギャンブルではあったのだが、国会図書館のデータベース
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1615581
で、従前みていた、この雑誌の書誌情報から推して、毎号160・70ページのうち、2つか3つは、少なくとも「読んでおいても損がない」記事があるようなので、落札してみた。
■届いた雑誌を…
みると、予測に違わず、「在伯コロノ生活の私より」と題する、コロノ、つまり、小作人ではなく、しかも単純な農業労働者でもない、いわば農作業の請負人の具体的な生活について、10ページに及ぶ詳細な記事があって、大満足。
いずれは、研究誌なりこのブログなりで、その「成果」をおしらせするつもりだが、それはさておき。
■ざっと…
記事をいくつか拾い読みしてみると、独身で渡航した男子の「嫁探し」の深刻さが見えてくる。
海外植民學校でも夫婦での移住を強く勧めていて(崎山の2度の海外視察で得たノウハウの一つといえる)、今大熊智之氏が探求しているが、学校の設立当初から移民を目指す女子にも門戸を開き、また、後には女子部を設立するなど*、女子教育に力を入れていたし、上塚司の日本高等拓殖學校でも、一時は、学生の修了後、アマゾンへの出発前に長期の休暇を設けて「嫁探し」を「義務付け」るほどだった。
*校内に、女子部の校舎に加え女子寮もあった
ただ、当の本人にしてみれば、何分現地の情報に乏しい時代でもあり
「1人でさえ食ってゆけるかわからないのに、女房連れではどうなるかわからない」
という、ある意味で「ごもっとも」な発想と、とくに、これらの学校出身者の場合は単身での渡航でもパスポートを発行してもらえる**こともあって、単身で渡航することが多かったようである。
**ブラジルへの移民の場合、原則として夫婦のほかに親族の働き手が加わった家族移民である必要があった。
独立から間もなくで、慢性の人手不足にあったブラジルでは、とにかく1人でも多くの働き手が欲しかったせいである。そのような情勢だったので、夫婦であれば働き手が2人いることになるので、ともかくも農場での職が得られるチャンスがあったのに対し、単身者の場合は、雇い主にとては「仕事が気に入らないと、黙っていなくなってしまう」リスクが大きいこともあって、容易に職が得られなかったようである。
実際、単身で渡航したものの、思うような職にありつけず、工場労働者になったり、さらには帰国した人も多かった一方、たとえば、自営業で、知恵才覚を働かせて、それなりの稼ぎができるようにようになった人も、当然いることはいたのだが…
いくら稼いでも、現地の「きれいなおねいさん」に全て巻き上げられたり、また、現地の女性と結婚しても、文化の違いもあって「宵越しの金は持たない」妻によって稼ぎが消えてゆく、といった人も多かったのである。
■いきおい…
それなりの生活基盤のできた人は、配偶者として日本人女性を求める結果となる。
ただ、「独身の日本人女性」となると、家族移民の一員として両親などと共に現地に渡った女性しかいないので、到底「需要は賄えない」(この雑誌の別の記事によると、結納金として、なんと渡航のための船賃の10倍にあたる3000円を用意する必要があったようである)。
一方、日本の側でみても、単身で外国に渡ろうとする女性はそもそも少ないし、そのもともと数少ない女性も、家族の反対で実際に渡航する人数はさらに少なくなることになる。
■このような…
事情だったので、先見の明がある男子はなんとか渡航前に嫁取りをしようとし、また、渡航後、時間や金銭の余裕のできた男子は一時帰国して嫁探しをせざるを得なくなる。
そのあたりの切実な事情が、この雑誌の「『植民』よろず案内」というページに如実に現れているので、ご紹介しておくことにした。
3段目の、アマ興移民予定の、後藤徳五郎は、実際にはブラジルに移民していない。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿