2016年9月18日日曜日

大正15年ころの植民学校周辺の地図

■学校とは直接関係のない
 
関東大震災後の東京圏の市街地の膨張に対応するために決定された、いわゆる都市計画道路の一つで、学校のやや東を通る「補助線道路第二十號」(現・補助26号)の路線決定の経緯を調べている
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/09/26-02d7.html
うち、海外植民学校が描かれている地図を発掘しました。























 この図は、それにともなって、昭和9年当時計画されていた、画面中央の学校と植民義塾の間の間を横方向に走る、「世田谷町道路網第四號路線」の計画にも少々変更が生じるために作成された地図のようです。

 この変更自体は、昭和9年なのですが、このときすでに開通していた現・京王井の頭線が地図の中に描かれていないことから、当初の路線決定時、つまり大正15年ころの当地の状態を示す地図と考えられます。
 
■しかし…
それにしても、この地図は、当時この世田谷町道4号を通すとしても、建物とか塀などの工作物を壊したり移動させたりしなければならなくなる利害関係人が、学校とその東の牧場(積田牧場)しかいなかったことを示しているといえます。

 のどかな時代だったわけですね、まだ。

【追記】


日本地形社 大正11年10月測図/昭和22年7月補修 昭和22年9月印刷・発行

帝都地形図【抜粋】



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