2016年10月6日木曜日

「崎山比佐衛伝」のコピー本〔【追記】とオリジナル本〕

研究誌

http://edcutokyo.blogspot.jp/2016/07/blog-post_25.html
の原稿を書くときに、一番困るのが「崎山比衛伝 アマゾン日本植民の父」を引用するときの、ページの特定。


このブログの…

http://edcutokyo.blogspot.jp/2016/07/blog-post_78.html
にも書いたとおり、手許に原本がなく、基本的に
ブラジル移民文庫
http://www.brasiliminbunko.com.br/IminBunko.CAPA.htm
に収録されている同書のPDFファイル
http://www.brasiliminbunko.com.br/Obras/157.pdf
のページ番号を「Wp.」で、原本中でページ番号のわかっているものは「Bp.」で示していて、それでも、なかなか入手困難な本なので、「読む側」にとっては実用上の不便がないのがわかっているものの、実は「書く側」にとっては、手持ちのコピーやPDFファイルを端からチェックするほかなく、不便この上ない状態だった。


いずれは…
原本の入手をと思っていたものの、なかなかマーケットに現れなかったところ、とある古書店のリストの中に見つけて、早速発注。


 しかし、今日届いたのを見た瞬間に感じたのは「あれっ、こんなに大きな本だったっけ?」。


さすがに、原本は、何度かは目にし、手に取って見ているための違和感だった。
 口絵の写真もおかしな色合いで…



よくよくみると
原本のコピーを製本したものであることがわかる。

とはいえ…

素人がコピーして綴じたものではなくて、きれいに中折りし、きちんと断裁したうえ、ハードカバーでしっかり製本し


背表紙の題字も


ちゃんとした活字で入れられているので、これは明らかにプロの仕事。


どうやら…

この本は、発行時に入手できなかった、海外植民學校の卒業生とか、あるいは、その未亡人などのご家族が、同窓生などから原本を借り受けて、専門業者に依頼して作ったコピー本なのではないかと思われる(私を含めて、単に資料としてコピーするなら、ここまでお金と手間をかけて製本するとは考えにくい)。


 その方が、どのような「想い」でこのコピー本を作ったのか…。

 今は、下手な原本より貴重なものを入手できたともいえる一方で、その「想い」までしょい込んでしまったのではないか、という複雑な心境である。


奥付の…

「発行所」欄には
東京都新宿区戸山町四丁目
都営戸山アパート三七号九一七
海外植民學校校友会出版部
とある。






 これは、今知っている限りでは、発行人の崎山盛繁氏の当時の住所とも、また、長期間にわたって日伯双方の校友会の事実上の連絡役を務めていた土原茂巧氏の住所とも違っている。
 はたして、誰の住所だったのだろう。



【参考資料】


「ブラジル発行版」奥付
「ブラジル移民文庫」 http://www.brasiliminbunko.com.br/Obras/157.pdf より

















 【追記】2020/01/29


■ネットオークションでは…

盛夏のお盆どきと年末年始には、よく「お化け」が出る。

 とくに、この年末年始、というよりむしろ、昨年晩秋から年明けから時間も経ているつい最近まで、ここ10年以上捜していた「お化け」クラスの書籍の、しかも、破格に安価な出品が目白押しで、公私ともに結構忙しくなってきているにも関わらず「目が離せない」。

 そのような、お化けシリーズの、いわば「ラス前」の1冊が「崎山比佐衛傳」のオリジナル本だった。しかも、出品価格700円(かつ「送料無料」)、オークションも「無風」。…やはり「お化け」だった。

■届いた本をみると…



表紙にカビ跡とみられるヤレはあるものの、全くといってよいほど開いた痕跡がない。

 ヤフオクの「匿名発送」ではあるが、これだけはわかる、発信された郵便局は高知市中心部の「高知宝永町郵便局」。

 崎山も、著者の吉村も、高知県本山町の出身なので、どうも、発刊時に同県内の縁者に寄贈された本が、今まで「埋蔵」されていたもののようである。

■しかし…

少々驚いたのは、奥付で、こちらは

 


発行所が「海外植民学出版部」とあって、先のコピー本のそれにある「校友会」の3文字がない。

■これまで判明した3パターンのうち…

Isohata (五十幡)氏発行名義のものは、ブラジルを中心とする卒業生で組織されていた伯国校友会の要請に応じて崎山盛繁氏が日本で印刷してブラジルに送ったものらしいのだが、日本で発行されたものが、なぜ2パターンあるのかの理由については手掛かりがない。

 そのため、これは全くの想像なのだが、今回入手のオリジナル本が初刷で、著者の吉村あるいは他の関係者から「すでに現存しなった『植民学校』名義」であることに疑問が提起され、増刷の折に校友会名義に変更されたのではなかろうか。

【追々記】

戦後の一時期、海外植民学校の「再興」をめぐって、校友会内でいろいろな意見対立があったことを思い出した。

結果論としてみると、およそ不可能な目的のための諍いでしかなかったのだが、この奥付の表記もその影響なのかもしれない。

 

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