2020年2月5日水曜日

吉村繁義「崎山比佐衛傳」のオリジナル本の背表紙見返し

■これまで…

海外植民学校を研究しながら、基本文献中の基本文献といってよい、標記の本については、日本の古本屋などの古書サイトにも出現しなかったオリジナル本が、令和2年1月に、ネットオークションに出品され、「無風」で落札することができた。

■ここまでの…

崎山傳との経緯は

「崎山比佐衛伝」のコピー本〔【追記】とオリジナル本〕
https://edcutokyo.blogspot.com/2016/10/blog-post.html

の追記で触れておいた。


■本の中身については…

すでに、上記のリンク先にある
・pdf版(文字列検索ができるのが有難い)
があり、それに加えて、後に入手できた
・コピー版(出典のページ番号を特定するには不可欠)
があるので、いわばモノを書くには不自由もないのだが、それでも欲しかった、いわば「お宝画像」は、裏表紙に見返しにある学校の遠景写真



■この写真は…

pdf版でも末尾に転載されているし、コピー版にもあるのだが、どちらも鮮明さに欠けているのが悩みだったので、今回ようやくかなり鮮明な画像を手に入れることができた。

 実は、これと同じアングルの全景写真は、学校創立初期のものが何パターンかあるが、この写真は、最も写り込んでいる建築物の数が多い、大正8年頃と思われる開校初期で、しかも学校としてのピークの状態を示す貴重なものと言える。

■それらのうち…

最も初期のものと思われるのは…

遠景写真1

大熊智之氏が、ネットオークションで落札したもの。

先の写真の③の寄宿舎は、まったく見えない。

■次が

遠景写真2

かつてWeb上にあったこれ。

先の写真の③の寄宿舎は、躯体(骨組)の白っぽい木材が露出していて、まだ建築途上であることがわかる。




かつて、同様にネットオークションに出品されていたこの写真(残念ながら気付いたのはオークションの終了後だった)と同一のものと思われる。


■そして…

遠景写真3

崎山傳掲載写真。

③の寄宿舎はすでに完成していることがわかる。

■これらの写真は…

絵葉書にして、年賀状などとして、支援者などに、学校の状況報告を兼ねて発送していたらしい。

たとえば、大熊氏蔵の上記「遠景写真1」の裏面は、この


ように「絵葉書仕立」になっている。

さらに、表の写真は別のものだが、当方手持ちのものは、この


崎山は、大正5年末、旭川で学校の設立資金
を募集するための講演会を開催しているが
送り先は、その折の、寄附者と思われる。
この宛先地の表示だけで届いているのだから、
坂東幸太郎「旭川商工人名録」旭川実業協会/T07・刊
NdlId:958691/41
によれば、市内に2店舗を有する「金物銅鉄商」
の花輪富太郎は、当地でかなりの有力者だったのだろう。
 



























ように、裏面に活版で文章を印刷して年賀状としているものもある。

【追記】

■上記「遠景写真3」の…

符号➁が、海外植民学校創立時に建築された、校舎である。

この校舎、戦後も残っていたことは、以下の写真で確認できる。

世田谷区立池之上小学校五十周年記念誌委員会・編「創立五十周年 記念誌」
同校々長/H03・刊
p.43掲載の「プール落成式 (30年7月)」と題する写真
この校舎、この時点では、新築当初なかった「控壁」が追加されていたりして、もともとが「安普請」らしかったこともあって、かなり老朽化が進んでいたことがわかる。

しかし、この校舎、昭和40年代には取り壊されていたことはわかっていたものの、もう少し時期を絞り込みたかったのである。

■最近入手した…

東京都建設局「S31-34 測 3000分の1地形図 『駒場』」」をみると、この校舎の周辺地域は、S32測量だが、この時点で、この校舎は消滅している。

「東電中央社員養成所」が、元植民学校の敷地

■実は…

ここまでこだわったのは、写真でいえば、校舎の向かい画面の右向こうにあった駄菓子屋さん兼模型屋さん「金の鳥」〔里俗「キンチョー」〕に、学校帰りにさんざん出入りしていたのに、この校舎については、全く記憶がなかったためである。

上記のように、この校舎は、昭和30年7月から昭和32年3月までの間に取り壊されていたのに対し、こちらが、当地に品川区大井町から地図に「北沢小」と表記されているが、前掲の「池之上小学校」に転校してきたのは昭和36年3月なのだから、記憶にないのは当たり前。

これで、やや安心した。

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