2016年7月25日月曜日

研究誌『海外植民学校と比佐衛』の目次集【6号目次追記】

 海外植民学校の創設者、崎*山比佐衛のご親族、比佐衛の弟松吾(まつご)氏の孫である松原征男氏の提唱で始まった、同校と崎山の研究誌である表題の雑誌も、創刊の2014年6月30日以来2年を経て、すでに第5号まで発刊され、


第5号表紙
   *戸籍名では、「さき」の右上の部首が「大一」ではなく「立」の「﨑」とのことです。
    ただし、
    ・比佐衛自身もある時期から、また、下記の「アマゾン日記」の著者で比佐衛の弟の信義氏も、
    意識的に正字である「埼」の字を使っていることと、
    ・一部のコンピュータでは「﨑」の字が表示できないおそれがあるため、
   当ブログでは「埼」の字で統一することにします。


 この間、比佐衛が骨を埋めたブラジルにも、3つのルートを通じて発信されるようになりました。

 この機会に、既刊分の目次をアップロードしておきますので、ご興味を持たれた方は、発行元である


宛てご照会ください。
 

既刊分目次集

第1号

・はじめに                                      松原征男  01
・資料紹介
  アマゾン日本植民の父 崎山比佐衛 高知市立自由民権記念館     02
・世田谷・下北沢における海外植民学校(前書)
  -「海外植民学校と比佐衛」創刊に向けて-         木村孝    03
・ブラジルにおける日本移民迫害の究明と移民史の捉え直し 大熊智之   07
・ブラジル訪問記 -叔父崎山比佐衛の足跡を追って-    崎山ひろみ 09
・付記   ・小笠原氏と板垣退助 ・聖園農場入植図                     10
・「一鍬主義」人の生涯(私説編)
  その1 マゾン日本植民の父崎山比佐衛            松原正憲  11
・「キ,キ,キミの顔はサルに似ちょる」                 松原征男  12
・資料紹介  関係資料受贈    高知県立歴史民俗資料館         13
・崎山久佐衛の資料収集                       崎山ひろみ  14
・崎山比佐衛関係略年譜                       崎山ひろみ  16
・おわりに                                (im)      20
・引用文献等 表紙写真説明 執筆者・協力者紹介

第2号

・はじめに -校友は石垣-                             01
・世田谷・下北沢における海外植民学校(第1章)        木村孝    02
・海外植民学校と教育(1)-初期の女子教育-         大熊智之    06
・連載 崎山信義著『アマゾン日記』-崎山校長の断面-(1)         09
・崎山比佐衛の資料を収集するためのブラジルヘの旅     崎山ひろみ 12
・校友子  吉川録郎遺稿 「武力なき平和」                   17
・随想 国策移民か自由移民か                   松原正憲  18
・「一鍬主義」人の生涯(私説編)その2               松原正憲  20
・エピソード2「ファハフアハ…」と笑った               松原征男  21
・おわりに 引用・参考文献等 筆者・協力者紹介        im       22
・写真(崎山比佐衛夫妻)  奥付                          23

第3号

・はじめに 高知県本山町での比佐衛/盛繁氏への追悼   松原征男 01
・世田谷・下北沢における海外植民学校(その2)        木村孝   02
・海外植民学校と女子教育(2)                   大熊智之 08
・連載 崎山信義著「アマゾン日記」-崎山校長の断面-(2)        09
・比佐衛の足跡 4つの活動地域 ・高知・北海道・東京・ブラジル      11
・比佐衛のふるさと本山                       崎山ひろみ 12
・史跡略図                               松原征男  14
・シリーズ1 高知県本山町吉延における比佐衛
  ・生誕の地本山町  ・顕彰の碑  ・生誕の地記念碑
  ・建設世話人会   ・少年期                  松原征男  15
  ・南北両米旅行の帰郷報告会(高知新聞)                 22 、
・崎山比佐衛の大正5年(1916年)高知行き           大熊智之  23
・高知訪問記 先祖の地を訪ねて                  松原正憲 27
・江戸時代以降の代表的高知県出身者100人(高知新聞)          28
・盛繁氏への追悼
  ・木村孝 ・大熊智之 ・崎山秀昭 ・松原正憲 ・松原征男       29
・おわりに / 引用・参考文献 筆者・協力者紹介               37
・顕彰碑  / 奥付

第4号 特集 北海道・聖園農場(上)

・はじめに                                松原征男 01
・世田谷・下北沢と海外植民学校(その3)
  学校としての順調な滑り出し                   木村孝   02
・〔余禄〕北海道開拓史の中の崎山家               木村孝   06
・崎山比佐衛一行の大正5年(1916年)北海道遊説
  札幌での人脈づくり                        大熊智之 14
・日本移民学会報告/北沢川文化遺産保存の会研究会報告 松原征男 19
・特集 -北海道・聖園農場(上)-                松原征男  21
・写真で見る比佐衛の足跡 シリーズ2-北海道浦臼ヘ-
  1)聖園農場訪問記                               22
  2)聖園農場に着くまで 小樽 峰延 石狩月形 浦臼町         25
  3)聖園農場の開拓 入植の経緯 浦臼原野の開墾 キリスト教入信
          冬期学校 学問を志し東北学院へ               29
・「一鍬主義」人の生涯(私説編)3
         -18歳の久吉 聖園農場ヘ-          松原正憲 34
・エピソード4  -クマの逆襲-                  松原征男  35
・おわりに                                     36
・引用・参考文献 筆者・協力者紹介 訂正                  37

第5号 特集 北海道・聖園農場(下)-

序にかえて -北海道廳植民軌道藻琴線-          木村孝     01
・渡伯報告 -マウエスを訪ねて-                 根川幸男   03
・世田谷・下北沢と海外植民学校(その4)            木村孝    08
・海外植民学校と女子教育(3)                  大熊智之   14
・〔余禄〕北海道拓殖の史料から                  木村孝    19
・北海道開拓の玄関口 小樽                   大井厚夫  27
・崎山松吾の網走東藻琴への入植                松原正憲  30
・シリーズ3-網走モコト原野の開拓-             松原征男
   1)崎山家の渡道と定住                            32
   2)崎山松吾の軌跡-網走モコト原野開拓と地域活動-        33
   3)崎山松吾の年譜                              39
・伯父の入植地 -東藻琴を訪ねて-             崎山ひろみ 41
・開拓者の拝み小屋                        松原正憲   43
・頑固な松吾お爺ちゃん                       松原正憲   45
・エピソード(4)熊を追つてゐたのだ              松原正憲  46
・短信(1)-比佐衛研究で早稲田大学から来訪-高知県本山町    47
・海外植民学校・崎山比佐衛の記念日           松原征男
・おわりに 主な引用・参考文献 訂正          松原征男     48
・執筆者●協力者紹介  /  奥付                      49

第6号 特集 東京(上) 渋谷・世田谷

比佐衛を語る(その1) 「崎山比佐衛の生涯」       崎山貞子      … 1
序によせて ― 海外植民学校の学校誌について ―  大熊智之      … 3
特集 ― 東京(上) 渋谷・世田谷―
 東北学院と崎山比佐衛                   大熊智之    … 5
 比佐衛の青山学院入学から学校設立準備まで     松原征男      … 10
 [余禄]「おばぁさんの知恵袋」解題              木村  孝        … 19
 植民義塾と片野先生                         斎藤秀雄        … 25
連載 世田谷・下北沢と海外植民学校(その5)            木村  孝      … 29
エピソード5 比佐衛の気概
                ―第4の恩師 渡辺辰五郎校長           松原正憲      … 35
短信(2) 生誕の地にて「崎山比佐衛」企画展      﨑山ひろみ   … 37
短信(3) 比佐衛の甥 ご逝去                       編集部      … 38
おわりに (編集後記)                         きむらたかし  … 39
執筆者・協力者紹介 / 奥付               編集部            … 40

2016年7月7日木曜日

崎山比佐衛関係書籍情報


世間的には、どれもマイナーな書籍で、古書などで入手するのはなかなか困難なのですが(私も持っていません)、幸い、基本中の基本の3冊は、ネット上で読んだりダウンロードすることができます。

■崎山の著書

●最初のアメリカ大陸視察記

「南北兩米踏破三萬哩」

国会図書館のデジタルコレクション
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955802 初版
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955803 改訂再版
 に加え

google books
 中の画像データで改訂再版の方を読むことができます。
 また、ダウンロードするのでしたら、こちらの方が楽です。
  https://books.google.co.jp/books?id=liEVqCcCQtEC&printsec=frontcover&dq=%E5%8D%97%E5%8C%97%E4%B8%A1%E7%B1%B3%E8%B8%8F%E7%A0%B4&hl=ja&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=%E5%8D%97%E5%8C%97%E4%B8%A1%E7%B1%B3%E8%B8%8F%E7%A0%B4&f=false

●2度目のアメリカ大陸視察記

「南米の大自然 : アマゾンの流を下りて」

国会図書館のデジタルコレクション
 中の画像データで読むことができます。
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1191540






















折込みの旅程図(4分割されている画像を合成したもの)


■崎山の伝記

青山学生労働会時代から学校初期にかけての、盟友であり「副官」だった吉村繁義が、戦後執筆した崎山の伝記

「崎山比佐衛傳 アマゾン日本移民の父」

ブラジル移民文庫<http://www.brasiliminbunko.com.br/IminBunko.CAPA.htm
 でテキスト付のpdfファイルで読むことができます。
 http://www.brasiliminbunko.com.br/Obras/157.pdf
 別途入手した巻末見返しの「大正八年創立当時の植民学園の全景」

■その他

国会図書館のデジタルコレクションには、

崎山執筆の
「南米の開拓は先ず手に豆から」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272849/62
 拓務省拓務局「ブラジル移住者便り」1934 所収

崎山についての評伝
「五、 牛乳配達から南北兩米三百哩を蹈破した 海外殖民學校長 崎山比佐衞君」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907074/33
 大日本雄弁会「苦学力行 新人物立志伝」T11 所収

がある。


原稿「池ノ上の私立海外植民学校」


「北沢川文化遺産保存の会」
の、会報 第113号(2015年12月1日発行)のために書いた記事です。


池ノ上の私立海外植民学校                 きむらたかし




大正7年、ただ畑と林が広がるばかりだった池ノ上の高台、今の池之上小学校の南隣、青少年会館の所に、小さいがハイカラな2階建ての建物が建った。海外植民学校。設立したのは、高知から北海道に開拓民として移住し、その後仙台を経て上京後、青山学院で神学を学んだ、崎山比佐衛〔ひさえ〕という人物である。

 崎山は、青山学院在学中、牛乳の販売で生活費と学資を稼ぐ自らと同じ境遇の「苦学生」と呼ばれていた学生を会員とし、牧場で乳牛を飼い、その牛乳を殺菌・瓶詰めして、会員が配達する「青山学生労働会」を設立。「牛乳屋のおやじ」を自認していたが、大正初期の不況下での会員の就職難の打開の活路を海外移住に見いだそうと、大正3年から丸々2年間南北アメリカ大陸を視察した。

当時海外に渡る日本人の多くは「出稼ぎ」意識を脱却できず、条件のよい仕事先を渡り歩くだけの者も多かった。崎山は、その意識改革に加えて、移民先の労働現場での指導・監督者である「ボッス」の良否が移民たちのその後の境遇を大きく左右することから、「良きボッス」を養成する必要性を痛感し、帰国後、澁澤榮一、後藤新平、大隈重信といった当時の錚々たる政財界の指導者の支援を得て、いわば「『移民の中の士官』学校」を設立したのである。

しかし、この学校、開校後は苦難の道を歩むことになる。開校までの第一次大戦による好況から、開校に前後して、一転して世界的な大不況となったため予定通りの資金が集まず、それが遠因の一つとなった大正1011年の学生のストを契機に、多くの後援者を失ったうえ、今のNHKの社宅の場所にあった学校の原点ともいえる牧場も人手にわたるなど大幅な規模の縮小に迫られた。

この学校は、もともと、他の学校と違って、授業料の収入よりも、有志からの寄附金や、青山学生労働会の後身の「学生労働会」(後には「植民義塾」)による牛乳販売の収益(後には、国からの補助金が加わった)に依存する経営態勢だったことが、おそらく男女あわせて1000人近い卒業生をブラジルなど諸外国に送り出しながらも、最後の最後まで崎山も自認していた「貧乏学校」から脱却できなかった要因であった。

海外植民学校は、各界の名士が自動車を連ねて参集した華々しい開校から23年経った昭和16年ころひっそりと閉校したが、その校舎は関東[給]->配電、戦後は東京電力の研修施設として昭和30年代半ばまで残っていた。


2016年7月6日水曜日

書籍「上塚司のアマゾン開拓事業」

ネットオークションで「無風」で落札できた、上塚家の私家版のこの本。

























昨日届きました。
今、合間を見て熟読中。

奥付は、こちら
 




今でこそアマゾナス州の首府のマナウスに日本企業の大工場が建っていますが、
約90年前の昭和の始め、アマゾナス州、パラー州などアマゾン川の流域地方で
は、日本人は超マイノリティー。

それだけに、意外な日本人同士がつながっていて、その人脈の解析はとても面
白い作業で、この上塚司は、その「要〔かなめ〕」の一人です。

*上塚先生によると、余部がまだあり、1冊3,300円で頒布可能とのこと。ご希望の方は発行所にご連絡を。


池ノ上の「海外植民学校」のあらまし

年譜

大正 6年 3月27日  学校用地の地上権取得(現・池之上青少年会館、東電独身寮などの一帯)
大正 6年 9月 6日  南西端の牧場(現・NHK社宅)取得
大正 6年10月 8日  校舎の建築請負契約締結(請負人・本郷区湯島 柏木組)
大正 7年 4月27日  校舎落成式挙行
大正 7年 6月 3日  学校の設立認可(同年 4月 9日申請)
大正 7年12月27日 (財)海外植民教育会設立認可(同年 8月22日申請)
 












大正7年4月落成の校舎(現・池之上青少年会館の場所)
 
 


















開校当時の配置図
このほか豊多摩郡代々幡町代々木三角橋1240番地に出版部があった

大正10・11年      学生スト
大正11年 4月     労働部を分離し崎山の個人経営に移管(後・植民義塾)
大正12年 3月14日  (財)海外植民教育会解散、学校の設立者を崎山に変更認可
                 この間、当初取得の牧場を失う
昭和 3年 8月ころ   女子部校舎・寄宿舎新築↓
昭和12年 5月21日  学校の設立者を崎山から今井修一に変更認可
昭和14年 4月25日  学校の設立者を今井修一から今泉孫次郎外1名に変更認可
                植民義塾は片野敬之助の経営に
昭和16年 3月[推定]  学校閉校
昭和17年ころ       関東配電の職員研修所に
昭和26年 5月 1日  同社解散にともない東京電力に現物出資
昭和31年        東京電力中央社員養成所
昭和30年代半ば      旧・本校舎解体
昭和37年ころ      日本電気協会電気技術学校+東電中央社員養成所寮
 













昭和49年ころ      最後まで残っていた旧・職員宿舎解体
昭和50年ころ      以後、東電独身寮+世田谷区立池之上青少年会館など

 

海外植民学校の前身の一つ「学生労働会」

 















[推定]渋谷(東京市渋谷町上渋谷24番地)時代
    前から2列目左から3人目の山高帽が崎山
 
























後に同志社大を卒業し、植民学校の教員になった此島喜三郎の労働会に在籍していた当時の牛乳配達姿
 

昭和3~9年ころの海外植民学校


海外植民学校校友会〔伯国〕50周年記念誌【堤剛太氏(汎アマゾニア日伯協会第1副会長)ご提供】より

・画面右端に女子部の校舎とその左奥に女子部の寄宿舎がある
  これらが建ったのは、昭和3年

・画面中央の並木の向こうに屋根の棟に換気塔のある牛舎らしい建物がある
  この建物は、昭和9年の「学校一覧」掲載の写真には写りこんでいない
 

はじめに

現在の…

京王井の頭線池ノ上駅から200mほど南に、かつて(大正7年~〔推定〕昭和16年)存在しした

私立海外植民学校

については、これまで当方のWeb

http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/SyokuminGakkoh.htm

で取り上げてきましたが、ここ数年、あらたな情報が数多く集まり、Webの更新だけでは対応できなくなって来ましたので、このブログにそれらを集約してゆくことにしました。