公式に開始されたのが、1908(明治41)年。いわゆる「笠戸丸移民」からで、781人の移民者を乗せた同船が神戸を出港してから約2月の航海を終えて、サントス港についた6月18日を、ブラジル側では「日本人移民の日」、日本側では「海外移住の日」と呼んでいる。
http://www.ndl.go.jp/brasil/column/kasatomaru.html
この本
は、それから4半世紀となるのを記念して、1933年にブラジルの伯剌西爾時報社が編集・発行したデータブック。
(なお、目次は、国会図書館のここ
で確認可能)
定価欄の「金へんに千」はブラジルでの「ミル」の当て字 |
したがって「年鑑」というのはあまり正確ではなく、「日系伯剌西爾大全」とでもいうべき内容の本である。
ネットオークションでは、年末やお盆どきには、「お化け」が出ることが結構多いのだが、これも、その典型。
普段あまり使わないキーワードで検索したら、ひょっこりと、この本が破格の価格で出品されていて、若干競ったものの無事に落札できた。
昭和の8年、大きく括って昭和0年代という時期は、日本の会社・機関が一斉に北部のアマゾン河の流域の開拓に着手した時期で、崎山比佐衛がアマゾナス州マウエスに一家をあげて移住したのも昭和7年。
したがって、この本には、アマゾン河流域の情報はまだ少なく、どうしても、南部とりわけ「聖市」ことサンパウロとその西の内陸地方のものが中心となるのだが、それでも、ここ数年間探していた情報が次々に発見できた。
とりわけ、南部の在住者にほぼ限られるが、巻末の5分の2近くを占める名簿が圧巻で、自営農や商人、職人などだけでなく、コロノ、さらには農勞と呼ばれていた純粋な雇われ人も網羅していて、かねて消息を探していた人物の情報も見つけることができた。
ただ、当時の慣例らしく、サンパウロなど海岸の大都市から内陸部に向かっている鉄道の路線別に、始発の都市から近い駅の順に日本人の移住地がリストアップされているので、そもそもこちらには土地観がないうえ、今では鉄道がなくなっているためにgoogle map は使えず、この80年の間に放棄された土地も多いようなので、目的の移住地を探し出すのには(後記のように本が「崩壊」してゆくのも手伝って)、意外に手間がかかる。
「銀ブラ移民」で有名なアリアンサと名の付く植民地を例にとると、
「ノロエステ線」沿線で
p.151から始まる「リンス駅」の項に
・アリアンサ第一區植民地 pp.179~183
・アリアンサ・トビ三區 pp.183~184
その後、いくつかの植民地あるいは耕地と呼ばれていた地域が続き
p.191から始まる「プロミッソン驛町」の項に
・第三アリアンサ移住地 pp.273~276
・第二アリアンサ移住地 pp.276~278
・第一アリアンサ移住地 pp.279~284
・ノーヴァ・アリアンサ移住地 p.284
という順にリストアップされている(目的の人物は、第一アリアンサの「ドン尻」のp.284でようやく見つけ出した)。
【余談】
ただし、この本、さっそく、複合機で50ページほどpdf化したところ、紙質が悪いのだろうが、あちらこちらがバラバラとフレーク状に崩れてゆく。昭和8年出版ということなので80年程度経過した本ではあるが、日本のものでは綴じがはずれることはよくあるものの、ここまで風化して「本が崩壊してゆく」ようなことはまず起こらない(前のアーティクルの「雑誌 ブラジル 昭和8年3月号」は全く同時代、しかも「たかが情報雑誌」なのだが同様である)。
国会図書館のデジタルライブラリの本の表紙に「電子複写禁止」とスタンプの押されているものを目にするが、この本のような「崩壊型」ばかりではないのだろうが、「なるほどこういうこともあるんだ」と納得した。
0 件のコメント:
コメントを投稿