2016年10月20日木曜日

研究誌「海外植民学校と比佐衛」第6号 発刊


 【表紙】





















【目次】

比佐衛を語る(その1) 「崎山比佐衛の生涯」       崎山貞子      … 1

序によせて ― 海外植民学校の学校誌について ―  大熊智之      … 3

特集 ― 東京(上) 渋谷・世田谷―
 東北学院と崎山比佐衛                   大熊智之    … 5
 比佐衛の青山学院入学から学校設立準備まで     松原征男      … 10
 [余禄]「おばぁさんの知恵袋」解題              木村  孝        … 19
 植民義塾と片野先生                         斎藤秀雄        … 25

連載 世田谷・下北沢と海外植民学校(その5)            木村  孝      … 29

エピソード5 比佐衛の気概
                ―第4の恩師 渡辺辰五郎校長           松原正憲      … 35

短信(2) 生誕の地にて「崎山比佐衛」企画展      﨑山ひろみ   … 37

短信(3) 比佐衛の甥 ご逝去                       編集部      … 38

おわりに (編集後記)                         きむらたかし  … 39

執筆者・協力者紹介 / 奥付               編集部            … 40


【問合せ先】

2016年10月6日木曜日

「崎山比佐衛伝」のコピー本〔【追記】とオリジナル本〕

研究誌

http://edcutokyo.blogspot.jp/2016/07/blog-post_25.html
の原稿を書くときに、一番困るのが「崎山比衛伝 アマゾン日本植民の父」を引用するときの、ページの特定。


このブログの…

http://edcutokyo.blogspot.jp/2016/07/blog-post_78.html
にも書いたとおり、手許に原本がなく、基本的に
ブラジル移民文庫
http://www.brasiliminbunko.com.br/IminBunko.CAPA.htm
に収録されている同書のPDFファイル
http://www.brasiliminbunko.com.br/Obras/157.pdf
のページ番号を「Wp.」で、原本中でページ番号のわかっているものは「Bp.」で示していて、それでも、なかなか入手困難な本なので、「読む側」にとっては実用上の不便がないのがわかっているものの、実は「書く側」にとっては、手持ちのコピーやPDFファイルを端からチェックするほかなく、不便この上ない状態だった。


いずれは…
原本の入手をと思っていたものの、なかなかマーケットに現れなかったところ、とある古書店のリストの中に見つけて、早速発注。


 しかし、今日届いたのを見た瞬間に感じたのは「あれっ、こんなに大きな本だったっけ?」。


さすがに、原本は、何度かは目にし、手に取って見ているための違和感だった。
 口絵の写真もおかしな色合いで…



よくよくみると
原本のコピーを製本したものであることがわかる。

とはいえ…

素人がコピーして綴じたものではなくて、きれいに中折りし、きちんと断裁したうえ、ハードカバーでしっかり製本し


背表紙の題字も


ちゃんとした活字で入れられているので、これは明らかにプロの仕事。


どうやら…

この本は、発行時に入手できなかった、海外植民學校の卒業生とか、あるいは、その未亡人などのご家族が、同窓生などから原本を借り受けて、専門業者に依頼して作ったコピー本なのではないかと思われる(私を含めて、単に資料としてコピーするなら、ここまでお金と手間をかけて製本するとは考えにくい)。


 その方が、どのような「想い」でこのコピー本を作ったのか…。

 今は、下手な原本より貴重なものを入手できたともいえる一方で、その「想い」までしょい込んでしまったのではないか、という複雑な心境である。


奥付の…

「発行所」欄には
東京都新宿区戸山町四丁目
都営戸山アパート三七号九一七
海外植民學校校友会出版部
とある。






 これは、今知っている限りでは、発行人の崎山盛繁氏の当時の住所とも、また、長期間にわたって日伯双方の校友会の事実上の連絡役を務めていた土原茂巧氏の住所とも違っている。
 はたして、誰の住所だったのだろう。



【参考資料】


「ブラジル発行版」奥付
「ブラジル移民文庫」 http://www.brasiliminbunko.com.br/Obras/157.pdf より

















 【追記】2020/01/29


■ネットオークションでは…

盛夏のお盆どきと年末年始には、よく「お化け」が出る。

 とくに、この年末年始、というよりむしろ、昨年晩秋から年明けから時間も経ているつい最近まで、ここ10年以上捜していた「お化け」クラスの書籍の、しかも、破格に安価な出品が目白押しで、公私ともに結構忙しくなってきているにも関わらず「目が離せない」。

 そのような、お化けシリーズの、いわば「ラス前」の1冊が「崎山比佐衛傳」のオリジナル本だった。しかも、出品価格700円(かつ「送料無料」)、オークションも「無風」。…やはり「お化け」だった。

■届いた本をみると…



表紙にカビ跡とみられるヤレはあるものの、全くといってよいほど開いた痕跡がない。

 ヤフオクの「匿名発送」ではあるが、これだけはわかる、発信された郵便局は高知市中心部の「高知宝永町郵便局」。

 崎山も、著者の吉村も、高知県本山町の出身なので、どうも、発刊時に同県内の縁者に寄贈された本が、今まで「埋蔵」されていたもののようである。

■しかし…

少々驚いたのは、奥付で、こちらは

 


発行所が「海外植民学出版部」とあって、先のコピー本のそれにある「校友会」の3文字がない。

■これまで判明した3パターンのうち…

Isohata (五十幡)氏発行名義のものは、ブラジルを中心とする卒業生で組織されていた伯国校友会の要請に応じて崎山盛繁氏が日本で印刷してブラジルに送ったものらしいのだが、日本で発行されたものが、なぜ2パターンあるのかの理由については手掛かりがない。

 そのため、これは全くの想像なのだが、今回入手のオリジナル本が初刷で、著者の吉村あるいは他の関係者から「すでに現存しなった『植民学校』名義」であることに疑問が提起され、増刷の折に校友会名義に変更されたのではなかろうか。

【追々記】

戦後の一時期、海外植民学校の「再興」をめぐって、校友会内でいろいろな意見対立があったことを思い出した。

結果論としてみると、およそ不可能な目的のための諍いでしかなかったのだが、この奥付の表記もその影響なのかもしれない。

 

2016年9月18日日曜日

大正15年ころの植民学校周辺の地図

■学校とは直接関係のない
 
関東大震災後の東京圏の市街地の膨張に対応するために決定された、いわゆる都市計画道路の一つで、学校のやや東を通る「補助線道路第二十號」(現・補助26号)の路線決定の経緯を調べている
http://baumdorf.cocolog-nifty.com/gardengarden/2016/09/26-02d7.html
うち、海外植民学校が描かれている地図を発掘しました。























 この図は、それにともなって、昭和9年当時計画されていた、画面中央の学校と植民義塾の間の間を横方向に走る、「世田谷町道路網第四號路線」の計画にも少々変更が生じるために作成された地図のようです。

 この変更自体は、昭和9年なのですが、このときすでに開通していた現・京王井の頭線が地図の中に描かれていないことから、当初の路線決定時、つまり大正15年ころの当地の状態を示す地図と考えられます。
 
■しかし…
それにしても、この地図は、当時この世田谷町道4号を通すとしても、建物とか塀などの工作物を壊したり移動させたりしなければならなくなる利害関係人が、学校とその東の牧場(積田牧場)しかいなかったことを示しているといえます。

 のどかな時代だったわけですね、まだ。

【追記】


日本地形社 大正11年10月測図/昭和22年7月補修 昭和22年9月印刷・発行

帝都地形図【抜粋】



2016年9月3日土曜日

越境と連動の日系移民教育史 - 複数文化体験の視座 -

〔研究誌5号にご投稿いただいた…〕

根川幸男氏編著
http://www.minervashobo.co.jp/book/b213837.html
の新刊です。

序 章 近現代日本人の海外体験と日系移植民史の時期区分──「連動史」を描くために(根川幸男)
第II部 第13章 越境するスポーツと移民子弟教育──太平洋戦争直前期ブラジルにおける日系少年野球を事例に(根川幸男)
は、根川氏の執筆。

なお、根川氏のプロフィールは
http://www.minervashobo.co.jp/author/a101904.html
http://research.nichibun.ac.jp/ja/researcher/staff/s073/index.html

あわせて
http://www.discovernikkei.org/ja/journal/author/negawa-sachio/
をご参照ください。








2016年9月1日木曜日

アマゾナス州マウエス市々歌

汎アマゾニア日伯協会の堤様にご教示いただいた

マウエス市の公式市歌
Hino de Maués - Óh Minha Maués
https://www.youtube.com/watch?v=TaMPcNLe234











歌詞は、こちら
https://pt.wikisource.org/wiki/Hino_do_munic%C3%ADpio_de_Mau%C3%A9s

海外植民学校出身
崎山比佐衛移住地「勝手先遣隊」
アマゾン興業移民の「救世主」
アマゾニア日本移民援護協会元事務局長
汎アマゾニア日伯協会元会長

などなど、挙げだすと切りがなさそうな
山之内登 氏

そのご子息

アレッシャンドレ 山之内
Alexandre Batista Yamanouth
氏の作詞作曲です。

「アマゾン 日本人による60年の移住史」
アマゾニア日伯協会/1994・刊 より




















2016年8月31日水曜日

海外植民学校の事実上の校歌「ラプラタの夕空」

この歌の成立過程については…
「母家」のWebページ
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/SgLaPlata.htm
で解説し、Midiファイルをページに追加しました。

その後…
「どうせなら」というわけで、当然ながら静止画ベースですが、ヴィデオ・クリップを制作して、YouTubeにアップロードしてあります
https://youtu.be/25n-CODKRkY
ので、ご興味のある方はどうぞ。

しかし…
どうにも経過がわからないのが、この曲の作曲家が「納所辨次郎」(1865-1936*1)とされていることです。
 納所は、すでに当時、作曲家としてかなり著名な存在で、植民学校が出来た後ならばともかく、学校もできていないうちから*2、本当にできるかどうかもわからない学校のために、この曲を作った。、というのも少々不合理に思えます。

【追記】2017/04/04
大日本音楽協会 編「音楽年鑑 昭和16年度」共益商社書店出版/S16・刊 p.79



現時点で…
考えられるのは2つ(あるいは3つ)の可能性で、
1 すでに納所が作曲したなんらかのメロディーを、いわば「パクった」。
2 植民学校設立にあたっての後援者の一人に、森村財閥の総帥である森村市左衛門がおり*3、その一方、納所は大正元(1912)年以降森村学園で教鞭をとっていたので、同校の創立者である森村を通じて作曲を依頼した。
(3 1のように当初は「パクった」が、後に2の縁を通じて、納所の了承を得た。)

とはいえ…
上記の1にしても3にしても、この可能性を裏付けるためには、この「ラプラタ…」に先立って、これと同じあるいはこれに近い曲を納所が作曲していたことが前提になります。
 これまで、いろいろと探してはいるのですが(画像と違って「一瞬でわかる」というものでもないため)いまだにそれらしい曲は、まだみつかっていません。

【追記】2016/09/04
どうも、これが元歌のようにも思えます。時期的にも矛盾はありませんし。

豊島〔ほうとう〕の戦【明治海軍軍歌】  
https://www.youtube.com/watch?v=-h9wybv9cgM
の始めから2分30秒以降

(ここ
https://youtu.be/7mAvnwh6Yrw
にもありますが、上のリンク先の方が音がクリアです)


解説、歌詞と譜面が、ここ
http://blogs.yahoo.co.jp/nippon0banzai/28957706.html
にありました。

当方の Web にある譜面
http://baumdorf.my.coocan.jp/KimuTaka/HalfMile/image/LaPlataScore.jpg
と、
このブログ掲載の譜面
http://blogs.yahoo.co.jp/nippon0banzai/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fblogs.c.yimg.jp%2Fres%2Fblog-0f-08%2Fnippon0banzai%2Ffolder%2F985532%2F06%2F28957706%2Fimg_0%3F1327233658&i=1
を見比べても、調は違いますが、出だしのメロディラインは同じように思えます。

実は

YouTubeへのアップロードには、その種の情報提供を得たいとの意図もあったのですが、
上記のとおり解決しました。



*1 国会図書館典拠データ検索・提供サービス<http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00206601>
*2 作詞者の大島は、学校設立に先立つ崎山比佐衛の遊説に同行して、大正7年3月9日、大阪の天王寺公会堂で、この歌を独唱している。 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10027206&TYPE=HTML_FILE&POS=1
  また、吉村繁義「「崎山比佐衛傳 アマゾン日本移民の父」
 http://www.brasiliminbunko.com.br/Obras/157.pdf
の164ページ目によれば、「良い声の持主」だった大島は、大阪に先立つ、崎山に同行した大正5年9月から同6年2月までの北海道遊説の折も
「主幹の講演のあと、その壇上に立って独唱した。これがヒットして、一行のゆく処『ラ・プラタの夕空』で風靡した」という。
*3 海外植民学校の機関誌の雑誌「植民」(当時)大正9年3月号【大熊文献】の7ページに、「海外植民學校の恩人」と題して、澁澤榮一、大隈重信らのそれとならんで「故森村市左衛門男(爵)」の写真が、最上段に掲載されている。


【追記】2017/05/13

納所の「豊島の戦」。

この曲には、

拓務省拓務局「ブラジル移住者便り」同/1934・刊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272849
掲載の

原 篤 作歌「平野青年同志團歌」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272849/31
同「夜間中学 平野義塾、塾綱?歌」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272849/32

のどちらの歌詞も「うまく乗る」。

 これ以外にも、海外雄飛青年の愛唱歌とされる歌詞で、この曲に載るものがあり、
いわば気勢の上がる旋律として、重用されていたように思われる。


2016年8月17日水曜日

書籍「アマゾン 日本人移住八十周年」

■オークションに…

ブラジルの「ニッケイ新聞社」が平成22年8月に発行した、この本


が出ていましたので、落札しました。
 
■ブラジルの…
 日系人を採り上げた本は、サンパウロをはじめとするブラジル南部を中心とするものがあらかたで、たとえば、数年前に入手した
 
ブラジル移民資料館ほか・編「目で見るブラジル日本移民の百年」風響社/2008年・刊
 
でも、北部のアマゾン川流域については、ほとんど「ついで」に触れている程度。
 
 今回の本は、アマゾン移住に特化した書籍でしたので、それなりに期待が持てました。
 
■確かに…
 中ほどの「移住地を訪ねて 連載編」では、9箇所の移住地を訪ね、主として「初代」の日本人移住者に丹念に取材しているのは、評価できるところです。
 
 
 
 
■しかし…
 アマゾナス州のマウエスについては、巻末の年表中でわずかに崎山の移住に触れている程度で「ほとんど無視」といってよい内容でした。
 
 しかし、この地は、崎山比佐衛の移住先(昭和7〔1932〕年9月)、というよりも、むしろ、それに先立つ昭和3〔1928〕年8月23日、同地に到着したアマゾン興業(アマ興)の取締役兼現地支配人の大石小作が率いる、三石久、久保田喜久郎、増田太郎、唐木道雄、羽野鶴雄、尾崎貞吉、石田喜由の7名の若者が、
  • 南米拓殖のパラー州アカラへの植民者(昭和4〔1929〕年9月。なお、その受け入れのため、トメアスーに上陸地点を定め、周囲の開墾に着手したのは4月)よりも、
また、
  • アマゾナス州パリンチンス下流のヴィラ・アマゾニアに植民地選定を兼ねて乗り込んだアマゾニア産業(アマ産)の上塚司たち(昭和5〔1930〕年6月)よりも、
先に、アマゾン川流域で、(少なくとも組織的にという意味では)初めて日本人が斧をふるった地なのですから、それなりの採り上げようもあるはずで、この扱いは、あまりに粗略だし、比佐衛同様にアマゾンの土となった大石に対する礼を失しているというほかありません。
 
■とりわけ…
アマ興の7人の若者のうち唐木、羽野、尾崎の3人は海外植民学校の卒業生。
また、同じく卒業生で昭和4〔1929〕年8月、後の崎山の移住地に、いわば「勝手先遣隊」として入った山之内登は、後にアマ興移民とアマ産との橋渡し役として重要な役割を果たしているのですから、マウエスを無視するかのようなこの本は、当方にとっては「非常に残念な本」だったのでした。


■もっとも…

考えてみると「ニッケイ新聞社」は、サンパウロ所在。
 
 
そこからみると、アマゾン河流域は、意識の中では、未だに「遥か彼方の『ほとんど異国の地』」なのかもしれませんね。
 
 90年史にはぜひ期待したいところです。